ビデ倫発足後

☆日本ビデオ倫理委員会が倫理機関の中心になるまで☆
日活制作の作品が、昭和47年に摘発されると、
この事を重く受け止めた東映ビデオ、日活、ジャパンビゴッテは合同の審査会を発足することになる。
しかしながら、ビデオデッキが急速に普及し、この3者による自主規制の判断だけでは間に合わないケースも増えてきた。
そこで、定年になった映倫の審査員に参加してもらい、審査体制の強化を図ったのである。
そして、成人ビデオ自主規制懇談会からビデオ倫理審査議会を経て、業務用・消費用の樹種規制機関として「日本ビデオ倫理教会」と名称が改まったのは、昭和52年のことである。
映倫ビデオマーケットが急速に拡大し、ありとあらゆる著作物をビデオ化するようになると、Vシネマ(通称「Vシネ」)というオリジナルビデオのジャンルが確立されてきた。
映倫の場合、劇場映画に限って審査をするのだが、Vシネマはビデオというジャンルなので、映倫の審査を通す必要がなかったのである。
一方、ビデ倫も主に成人向けビデオを審査する機関なので、Vシネマを審査する必要性がない、つまり、Vシネマを審査する機関は存在しなかったということになる。
その頃の映画の制作本数が年ごとに減少していき、映倫もビデオ審査に取り組む必要性を考え始めるようになった。
結局、ビデ倫と映倫とでVシネマを共同審査することになり、平成6年に映像倫理協議会が発足することとなった。
映像論という審査機関を設けることで、業界としては全ての映像作品が、映倫かビデ倫、いずれかの審査を受ける体制が整えられたのだ。